昭しょう和わの年ねん代だい土と地ちの使つわれ方かうかたうう人じん口こうが1万まん人にんよりへる。西にし原はら村そんのはじまり。人じん口こうは10615人にん。人じん 那な覇は市しではたら にすみはじめる つくられる)。畑はたけでさとうきびをつくる農のう家かがたくさんいた。口こ交こう 通つ公こ共きしせつ今いまの坂さか田た小しょう学がっ校こうのもとが開かい校こう。年ねん表ぴょうを書かき足たそう今いまの西にし原はら小しょう学がっ校こうのもとが開かい校こう。ょう100年ねん前まえ大たい正しょうの年ねん代だいき道どう馬ば車しゃが走っていた。「道どう具ぐ」「くらしの様よう子す」はしょうりゃく。おじいさん,おばあさんが子こどものころ50年ねん前まえ146ひろとさんたちは,これまで調しらべてきた西にし原はら町ちょうの人じん口こう,土と地ちの使つかわれ方かた,交こう通つう,公こう共きょうしせつについて,年ねん表ぴょうにまとめることにしました。「昔むかしの道どう具ぐ調しらべのときにまとめた年ねん表ぴょうに,かき足たしていくとわかりやすいね。」
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