わたしたちの西原町(3年・4年合冊版)
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戦せん後ごまもなくの西にし原はら町ちょうでは,ほとんどの人ひとが井い戸どやかんい水すい道どうを使つかっていました。水すい道どうが引ひかれるまで水すい道どうがひかれるまでは,このような地ち域いきの井い戸どからくんだ水みずを利り用ようしていました。屋や根ねにふった雨あま水みずを「とい」で集あつめ,タンクに流ながし,ためていた。水すい道どうが引ひかれる前まえは多おおくの家いえで使つかわれていた生せい活かつの知ち恵えです。井い戸ど水みずや雨あま水みずなどを利り用ようしていたんだね。今いまの水すい道どうができる前まえは,どのような様よう子すだったのだろう。 ■イ 一いっ貫かんガー ■ア 水みずがめ ■ウ 天てん水すいタンクかんじと間いげんざいのように,タンクやポリバケツなどがなかったころ,水みずがめは大たい切せつなよう器きでした。昔むかしはどの家いえにもあり,ひしゃくで水みずをくんで使つかっていました。188この時の問その後ご,町ちょう内ないの各かく地ち域いきに水すい道どうが引ひかれるようになりましたが,その前まえは,どうやって水みずを使つかっていたのでしょうか。

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