わたしたちの西原町(3年・4年合冊版)
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尚しょう円えん王おうは,琉りゅう球きゅうの人ひとのために働はたらきますが,尚しょう円えん王おうが亡なくなってから,200年ねん近ちかくたったあと,そのときの国こく王おう(尚しょう質しつ王おう)は,尚しょう円えん王おうを神かみ様さまとしてたたえようと,尚しょう円えん王おうが,昔むかし住すんでいたところにいのりを行おこなう建たて物もの(神しん殿でん)をつくらせました。現げん在ざい,わたしたちが東あがりー江御うどぅん殿とよんでいるところです。内うち間ま御うどぅん殿 琉りゅう球きゅう王おう国こくの聖せい地ちとして整せい備びされた神しん殿でん ■イ 尚しょう円えん王おう(御お後ご絵え)提てい供きょう:沖おき縄なわ県けん立りつ芸げい術じゅつ大だい学がく附ふ属ぞく図と書しょ館かん・資し料りょう館かん ■ア 内うち間ま御うどぅん殿(現げん在ざい)(提てい供きょう:西にし原はら町ちょう文ぶん化か課か)今いまからおよそ550年ねん以い上じょう前まえ,沖おき縄なわが琉りゅう球きゅう王おう国こくであったころ,現げん在ざい,内うち間ま御うどぅん殿がある場ば所しょに住すんでいた金かな丸まるが国こく王おうとなり,尚しょう円えんと名なのりました。・聖せい地ちかいせつ神かみ様さまにいのりをささげるとおとい場ば所しょ。・神しん殿でんかいせつ神かみ様さまをまつってある建たて物もの。・王おう府ふかいせつ国くにの役やく所しょ(現げん在ざいの県けん庁ちょうや町ちょう役やく場ば)。・竹たけ垣がきかいせつ竹たけでつくられた家いえのまわりをかこっているしきり。・焼しょう失しつかいせつ焼やけてなくなること。・献けん上じょうかいせつ身み分ぶんの高たかい人ひとに物ものを差さし上あげること。・御う殿どぅん守むいかいせつ内うち間ま御うどぅん殿の管かん理りや行ぎょう事じを行おこなうために,王おう府ふから任にん命めいされた人ひとのこと。2307年ねん後ご,61才さいでこの世よを去さりました。それから,およそ70年ねんの時じ間かんをかけて,王おう府ふは,内うち間ま御うどぅん殿を琉りゅう球きゅう王おう国こくの聖せい地ちとして整せい備びしていきました。

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