わたしたちの西原町(3年・4年合冊版)
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金かな丸まるが王おう(尚しょう円えん王おう)になる前まえに住すんでいた場ば所しょに,尚しょう前まえのページで,内うち間ま御うどぅん殿について調しらべましたが,この内うち間ま御うどぅん殿のどこがスゴイのでしょうか。そのいくつかをしょうかいします。●金かな丸まる(後のちの尚しょう円えん王おう)が住すんでいた場ば所しょだった円えん王おうが亡なくなってからおよそ200年ねんたった後あとに,尚しょう円えん王おうをまつるための神しん殿でん(東あがりー江御うどぅん殿)を建たてました。●琉りゅう球きゅう国こくの王おうが大たい切せつにしていた聖せい地ちだった神しん殿でんに置おかれていたご神しん体たいがぬすまれたことがありました。そのときの国こく王おうだった尚しょう敬けい王おうは自みずから家け来らいをつれてご神しん体たいをさがしまわり,見みつけて神しん殿でんに内うち間ま御うどぅん殿 ■ア 戦せん前ぜんの東あがりー江御うどぅん殿(戦せん前ぜん・美ちゅら島じま財ざい団だん提てい供きょう) ■イ つくられた石いし垣がき(戦せん前ぜん・美ちゅら島じま財ざい団だん提てい供きょう)・ご神しん体たいかいせつ神かみ様さまがやどるものとしていのる物もの。・扁へん額がくかいせつ建たて物ものの外そとや門もんなどにかがげられる額がく。文も字じが書かかれていることが多おおい。もどしました。 二に度どとぬすまれることのないように,瓦かわらぶきのしっかりとした建たて物ものにし,かんたんに入はいってこられないように周まわりを石いし垣がきにつくりかえました。232ご神しん体たいがぬすまれたときは,どんな気き持もちだったのだろう。ここがスゴイ!

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