わたしたちの西原町(3年・4年合冊版)
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昔むかしの農のう家かの人ひとは,どのようなくらしをしていたのか,町ちょう役やく場ばの人ひとにきいてみました。いとじ間昔むかしの農のう家かの人ひとは,どのようなくらしをしていたのだろう。 ■ア 今いまから100年ねん以い上じょう前まえに西にし原はら町ちょうでつくられていた主おもな農のう作さく物もつ (昔むかしの農のう家かの人ひとのくらし町ちょう役やく場ばの人ひとの話はなし今いまとちがって,今いまから100年ねん以い上じょう前まえは,毎まい日にち食たべるイモや野や菜さい,豆まめを自じ分ぶんたちでつくっていました。今いまは,スーパーマーケットや八や百お屋やに行いけば,買かうことができるものですが,昔むかしは自じ分ぶんの食たべる物ものは自じ分ぶんでつくることがふつうだったのです。しかし,自じ分ぶんたちでほとんど食たべることのないものも農のう家かの人ひとはつくっていました。それがさとうきびです。米こめ参さん考こう:西にし原はら町ちょう史し)豆まめるいかんさとうきびサツマイモむぎるいかぼちゃニガウリごぼうにんじんだいこん240この時の問さとうがたくさん手てに入はいれば,もっとお金かねを手てに入いれることができるね。さとうきびからさとうをつくり,それを売うっていました。多おおくつくりすぎてあまった野や菜さいも売うっていましたが,たくさん売うることはありませんでした。しかし,さとうはたくさんつくり,売うることができました。このお金かねで,生せい活かつに必ひつ要ようなもの,例たとえば,しょうゆやしお,りょうりに使つかう道どう具ぐ(なべ・ほうちょうなど),畑はたけの仕し事ごとで使つかう道どう具ぐ(くわやかごなど),さとうきびのしるを入いれるたるなどを買かっていたのです。そのため,よりたくさんのさとうが手てに入はいることを願ねがっていました。

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