わたしたちの西原町(3年・4年合冊版)
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首しゅ里り城じょうは,沖おき縄なわ県けんが琉りゅう球きゅう王おう国こくと呼よばれていたころ(今いまからおよそ600年ねんから150年ねんまで),国こく王おうとその家か族ぞくがくらしたところです。また,正せい殿でんは,国こく王おうが儀ぎ式しきを行おこなうところです。琉りゅう球きゅうのれきし・文ぶん化かをしょうちょうするものとして,世せ界かい文ぶん化か遺い産さんの一ひとつに登とう録ろくされました。首しゅ里り城じょうの復ふっ興こう ■ア 火か災さい直ちょく後ごの首しゅ里り城じょう ■イ もえる首しゅ里り城じょう ■ ウ やけのこったりゅうの柱はしら2742000(平へい成せい12)年ねん12月がつ,首しゅ里り城じょうは,しかし,2019(令れい和わ元がん)年ねん10月がつ31日にち,首しゅ里り城じょう正せい殿でんで火か災さいが起おこり,完かん全ぜんにわたしたちの首しゅ里り城じょうをもう一いち度ど

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